フラッシュバックの『記憶』に苦しむ時:心を和らげる穏やかな『距離感』の育み方
はじめに
長年にわたり、フラッシュバックによるつらい記憶に苦しんでおられる方は少なくありません。過去の出来事そのものに加え、その記憶がまるで今起きているかのように鮮明に蘇り、日常生活に影響を与えている現状に、深く悩んでいらっしゃる方もおられることでしょう。様々な対処法を試したものの、記憶そのものが消えるわけではなく、根本的な効果を感じにくいと感じている方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、フラッシュバックとして蘇る「記憶そのもの」との付き合い方に焦点を当て、記憶を無理に消し去ろうとするのではなく、記憶との「穏やかな距離感」を育むことで心を和らげる方法について探ります。長年の苦しみを少しでも和らげ、より穏やかな日々を送るための新しい視点や具体的な練習をご紹介します。
フラッシュバックで蘇る記憶の特性を理解する
フラッシュバックで蘇る記憶は、まるで目の前で再演されているかのように感じられることがあります。これは、脳が過去の出来事を「過去のこと」として処理しきれていないために起こると考えられています。特に強い感情や危険を伴う出来事の記憶は、脳の扁桃体といった情動に関わる部分に強く刻まれやすく、些細なきっかけ(トリガー)で活性化し、過去の感覚や感情を鮮明に呼び起こしてしまうことがあります。
しかし、記憶というのは一度固定されたものではなく、再想起されるたびに少しずつ変化する可能性があると言われています。また、フラッシュバックで蘇る記憶は、必ずしも過去の出来事の正確な再現ではありません。当時の感情や感覚が強く結びついているため、現在の状況と混同されやすく、あたかも「今」起きているかのように感じられてしまうのです。
ここで大切なのは、「過去の出来事」と「現在の記憶」は、厳密には異なるものであると認識することです。記憶は過去の出来事に基づいていますが、それをどのように感じ、どのように解釈するかは、現在の心身の状態や、記憶との向き合い方によって影響を受けます。フラッシュバックで苦しむということは、その記憶が「現在のあなた」に影響を与えている状態です。したがって、記憶そのものを変えることは難しくても、その記憶が「現在のあなた」に与える影響、つまり記憶との「距離感」を調整することは可能なのです。
『記憶との距離感』とは何か
記憶との「穏やかな距離感」とは、つらい記憶を遠ざけたり、見て見ぬふりをすることではありません。それは、つらい記憶が蘇った時に、その記憶に完全に飲み込まれてしまうのではなく、「ああ、これは過去のつらい記憶が蘇っているのだな」と客観的に認識し、現在の自分と記憶の間にスペースを設ける考え方です。
例えるなら、つらい記憶の中に自分が「いる」状態から、つらい記憶を少し離れた場所から「見ている」状態への移行を目指すイメージです。これにより、記憶に伴う強い感情や身体的な反応に圧倒されにくくなり、現在の自分が安全な場所にいることを思い出す助けとなります。
この距離感を育むことは、長年のフラッシュバックに悩む方にとって、決して簡単な道のりではありません。しかし、少しずつ練習を重ねることで、記憶の波に揺さぶられながらも、完全に溺れてしまうことを避け、心の安定を保つことが期待できます。
具体的な『距離感』を育む練習
ここでは、記憶との穏やかな距離感を育むための具体的な練習方法をいくつかご紹介します。すぐに効果が出なくても、焦らず、ご自身のペースで試してみてください。
1. 記憶を『客観的に描写』する練習
つらい記憶が蘇りそうになったり、実際に蘇っている時に、その記憶の内容そのものに感情的に浸るのではなく、まるで映画のワンシーンや写真を見ているかのように、客観的に描写してみる練習です。
- 方法:
- 安全で落ち着ける場所で、座るか横になります。
- もし可能であれば、紙とペンを用意します。
- フラッシュバックの記憶が蘇ってきたら、「これは〇〇の記憶だな」と心の中で認識します。
- 記憶の内容を、感情を込めずに、淡々と描写してみます。例えば、「〇〇という場所が見える」「〇〇という音が聞こえる」「自分は△△な姿勢でいる」など、視覚、聴覚、身体感覚など、五感で捉えられる情報を中心に記述します。
- この時、「つらい」「悲しい」といった感情そのものを描写するのではなく、「胸のあたりが締め付けられる感覚がある」「涙が出てきそうになる」など、体で感じている感覚を描写します。
- 紙に書くことが難しければ、心の中で描写するだけでも構いません。
この練習の目的は、記憶と自分自身の感情を一体化させるのではなく、記憶を「外側から観察する対象」として捉え直すことです。これにより、記憶に引きずり込まれそうになるのを防ぎ、一歩引いて見ることができるようになります。
2. 記憶に『ラベルを貼る』練習
蘇ってきた記憶に対して、「これは過去の記憶である」「これは、つらい出来事に関する記憶だ」といったラベルを貼る練習です。これは、「思考と感情の分離」や「受容」の考え方に基づいています。
- 方法:
- フラッシュバックの記憶が蘇ってきたら、心の中で「あ、これは〇〇の時の記憶だ」「これは過去のことだ」と明確に認識し、言葉にします。
- 記憶に伴う感情や思考(例:「私はダメだ」「あの時こうしていれば」など)が浮かんだら、「これはつらい記憶からくる思考だ」「これは不安な気持ちだ」というように、それらを「思考」や「感情」として認識し、ラベルを貼ります。
- これにより、思考や感情に同一化するのではなく、「自分は今、このような思考や感情を抱いているのだな」と客観的に捉えることができるようになります。
この練習は、現在の自分と過去の記憶、あるいは記憶に伴う思考や感情との間に、「これは自分自身そのものではない」という区切りを設けることを助けます。
3. 『現在の体の感覚』に意識を戻す練習
フラッシュバックが起きている最中や、起きそうだと感じた時に、意識を過去の記憶から「今、ここ」の体の感覚に戻す練習です。これにより、記憶に囚われている状態から、現在の現実世界との繋がりを取り戻すことができます。
- 方法:
- フラッシュバックが起きたら、すぐに意識を呼吸に向けます。深く吸ったり吐いたりする必要はありません。ただ、「今、息を吸っているな」「今、息を吐いているな」と、自然な呼吸の感覚に注意を向けます。
- 次に、体の感覚に注意を移します。「今、座っている椅子がお尻に触れているな」「足の裏が床についているな」「両手の重みを感じるな」など、現在の体の感覚を一つ一つ丁寧に感じていきます。
- 安全な場所にいることを確認し、その場所にある「今」感じられるもの(視覚、聴覚、触覚など)に意識を向けます。例えば、「目の前に机がある」「時計の音が聞こえる」「服の生地が肌に触れている」などです。
この練習は、過去の記憶に引きずり込まれそうになるのを物理的に防ぎ、意識を「現在の自分」と「現在の場所」にしっかりとグラウンディングさせる効果があります。
長期的な視点と専門家との連携
これらの練習は、一度行っただけでは劇的な効果を感じにくいかもしれません。しかし、日々、あるいはフラッシュバックが起きそうな時に継続して行うことで、少しずつ記憶との付き合い方が変わり、穏やかな距離感を育むことに繋がります。完璧を目指す必要はありません。できた時に自分を褒め、難しかった時も自分を責めずに、根気強く続けていくことが大切です。
もし、一人での取り組みが難しいと感じる場合や、より安全な環境で記憶と向き合いたいと考える場合は、専門家(心理士や精神科医など)に相談することも有効な選択肢です。専門家は、トラウマに特化した安全な治療法(例:EMDRやTF-CBTなど、記憶との向き合い方をサポートする技法)や、個々の状態に合わせた具体的な対処法を提案してくれます。
専門家への相談は敷居が高いと感じるかもしれませんが、まずは地域の相談窓口や、インターネットで信頼できる医療機関やカウンセリングルームを探してみることから始めてはいかがでしょうか。専門家のサポートを得ることで、これまで一人で抱え込んできた悩みを分かち合い、より効果的にフラッシュバックと向き合うための道が開けることもあります。
まとめ
フラッシュバックのつらい記憶は、長年にわたり心を悩ませる大きな負担となることがあります。記憶そのものを消すことは難しいかもしれませんが、記憶との「穏やかな距離感」を育むことで、記憶が現在のあなたに与える影響を和らげることが可能です。
この記事でご紹介した「客観的な描写」「ラベル貼り」「現在の感覚への意識戻し」といった練習は、記憶に飲み込まれそうになる心を落ち着かせ、自分と記憶の間に安全なスペースを作るための助けとなります。これらの練習を焦らず、ご自身のペースで続けていくことが、穏やかな日常を取り戻すための一歩となります。
もし一人で取り組むことに限界を感じる場合は、専門家の力を借りることも検討してください。あなたは一人ではありません。この記事が、長年の苦しみを和らげ、希望を持ってフラッシュバックと向き合っていくための一助となれば幸いです。